「シルクロード」という語句。
以前から申し上げていた通り、今回は「シルクロード」という語句について少し。
現在、中央アジア、ことに新疆に関する事柄について触れる際に、かなりの頻度で用いられる語句で、「シルクロード」というものがあります。
「シルクロード」を専門とする研究者によれば、北アジアのステップ・中央アジアのオアシス都市・東南アジア-インド洋をそれぞれ通過する三つの交通路で、ここを通過して東西の文化交流があった、ということです。
今までに出版された関連書籍は数知れず、一般的にはすっかり定着した感のある「シルクロード」ですが、歴史学の分野では、過去にこの語句を冠したある「史観」を巡ってある論争があったようです。
その名も「シルクロード史観」論争。
同史観を巡る研究者同士のやり取りに関しては、
以前「関連書籍紹介」でも取り上げさせて頂いた宇山智彦氏の書籍(『ユーラシア・ブックレット⑦中央アジアの歴史と現在』東洋書店)の中にまとまった記述があり、そちらを参考にして頂くのが一番早いのですが、論争のあらましだけを述べさせて頂くと、以下のようになります。
論争の発端は、70年代末にテムル朝を専門とされる間野英二氏が『中央アジアの歴史』(講談社現代新書)という中央アジア通史の概説書を刊行されたことにあります。
それまでの日本の学会では、中央アジア史研究の多くが「東西交渉」を主題とするものが大部分を占めていたのですが、間野氏は自身の専門とされる16世紀の中央アジア出身者による史書の記述をもとに、当地に住む住民にとっては遊牧民-オアシス居住民間の関係が一番重要であったとして、従来の史観を東西交渉偏重であると批判したわけです。
これが所謂「シルクロード史観批判」「脱シルクロード論」ですね。
東西の交易・文化伝播のみに研究の焦点が当たっている状態を批判する語句として、批判された側の研究者がしばしば用いていた「シルクロード」という語が使われたわけです。
同主張に対しては、賛否様々な反応があったようですが、最終的に論争がうやむやのうちに終了したとはいえ、間野氏の主張が部分的には(例えば現地語文献の重視など)定着・一般化したようですね。現在日本の歴史学界では、「シルクロード」という枠組みの研究は減少しつつあるとのことです。
しかしながら、その一方で、上述の学会の動向とは対照的に、一般的には「シルクロード」の名の下に、往年盛んにもてはやされた「東西の文化交流」といった観点から中央アジアに興味を持たれる方が、かなりいらっしゃるのであろうことも、上述した関連書籍の氾濫や、NHKの特別番組に対する反響などといったものからも容易に想像できますし、恐らくそれは事実だと思います。
このような「専門家」と一般との間の、同対称への関心の所在の違いというのは、なにも中央アジアに限らないでしょうし、またそのような違い自体が非難されるべきものであるとは私も思いません。
けれども、例えばイスラーム化以降、取り分け近現代史に対する言及が皆無に近いなどの、以前の「交渉重視の史観」の問題点などが、一般化した「シルクロード史観」の中でより顕著になってきているのではないかとも、私は考えます。
現代に連続する近現代史、とりわけ政治史・社会史などには余り着目せず、専ら仏教関係の遺跡や、日本への文化伝播の交通路としての中央アジアをトピックとして扱うことのアイコンともなっている感がある「シルクロード」という語句を使うことの是非は、今後も折に触れて考えていけたらと思いますね。
前回にもまして、纏まらない書き込みになってしまいましたが。
それでは。
現在、中央アジア、ことに新疆に関する事柄について触れる際に、かなりの頻度で用いられる語句で、「シルクロード」というものがあります。
「シルクロード」を専門とする研究者によれば、北アジアのステップ・中央アジアのオアシス都市・東南アジア-インド洋をそれぞれ通過する三つの交通路で、ここを通過して東西の文化交流があった、ということです。
今までに出版された関連書籍は数知れず、一般的にはすっかり定着した感のある「シルクロード」ですが、歴史学の分野では、過去にこの語句を冠したある「史観」を巡ってある論争があったようです。
その名も「シルクロード史観」論争。
同史観を巡る研究者同士のやり取りに関しては、
以前「関連書籍紹介」でも取り上げさせて頂いた宇山智彦氏の書籍(『ユーラシア・ブックレット⑦中央アジアの歴史と現在』東洋書店)の中にまとまった記述があり、そちらを参考にして頂くのが一番早いのですが、論争のあらましだけを述べさせて頂くと、以下のようになります。
論争の発端は、70年代末にテムル朝を専門とされる間野英二氏が『中央アジアの歴史』(講談社現代新書)という中央アジア通史の概説書を刊行されたことにあります。
それまでの日本の学会では、中央アジア史研究の多くが「東西交渉」を主題とするものが大部分を占めていたのですが、間野氏は自身の専門とされる16世紀の中央アジア出身者による史書の記述をもとに、当地に住む住民にとっては遊牧民-オアシス居住民間の関係が一番重要であったとして、従来の史観を東西交渉偏重であると批判したわけです。
これが所謂「シルクロード史観批判」「脱シルクロード論」ですね。
東西の交易・文化伝播のみに研究の焦点が当たっている状態を批判する語句として、批判された側の研究者がしばしば用いていた「シルクロード」という語が使われたわけです。
同主張に対しては、賛否様々な反応があったようですが、最終的に論争がうやむやのうちに終了したとはいえ、間野氏の主張が部分的には(例えば現地語文献の重視など)定着・一般化したようですね。現在日本の歴史学界では、「シルクロード」という枠組みの研究は減少しつつあるとのことです。
しかしながら、その一方で、上述の学会の動向とは対照的に、一般的には「シルクロード」の名の下に、往年盛んにもてはやされた「東西の文化交流」といった観点から中央アジアに興味を持たれる方が、かなりいらっしゃるのであろうことも、上述した関連書籍の氾濫や、NHKの特別番組に対する反響などといったものからも容易に想像できますし、恐らくそれは事実だと思います。
このような「専門家」と一般との間の、同対称への関心の所在の違いというのは、なにも中央アジアに限らないでしょうし、またそのような違い自体が非難されるべきものであるとは私も思いません。
けれども、例えばイスラーム化以降、取り分け近現代史に対する言及が皆無に近いなどの、以前の「交渉重視の史観」の問題点などが、一般化した「シルクロード史観」の中でより顕著になってきているのではないかとも、私は考えます。
現代に連続する近現代史、とりわけ政治史・社会史などには余り着目せず、専ら仏教関係の遺跡や、日本への文化伝播の交通路としての中央アジアをトピックとして扱うことのアイコンともなっている感がある「シルクロード」という語句を使うことの是非は、今後も折に触れて考えていけたらと思いますね。
前回にもまして、纏まらない書き込みになってしまいましたが。
それでは。
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